平安神宮
(へいあんじんぐう)千年の都を象徴する平安神宮には、平安京の最初の天皇、桓武天皇と、京都で最後の天皇となった孝明天皇が祀られています。神宮の境内は、平安京の正庁であった朝堂院が8分の5の規模で再現されています。
大鳥居
社名・社号 | 平安神宮 |
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住所 | 京都市左京区岡崎西天王町97 |
電話 | 075-761-0221 |
アクセス |
市バス32,5,46,100,110系統 「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車すぐ 地下鉄東西線「東山」駅下車徒歩10分 |
拝観時間 | 3/15-9/30 6:00-18:00 10/1-10/31 6:00-17:30 11/1-2/14 6:00-17:00 2/15-3/14 6:00-17:30 神苑: 3/15-9/30:8:30-17:30 10/1-10/31:8:30-17:00 11/1-2/末:8:30-16:30 3/1-3/14:8:30-17:00 受付:終了時刻の30分前まで |
神苑拝観料 | 大人600円 小人300円 |
公式サイト | http://www.heianjingu.or.jp/ |
平安京朝堂院を5/8のスケールで再現した平安神宮
東山三条から三条通を東へ、神宮道で北に折れると壮大な朱塗りの鳥居が見えます。岡崎地区は京都の文化ゾーンといわれ、美術館や劇場、グラウンドや動物園などがすぐ近くにあり、疎水に沿ってインクライン跡や、南禅寺、水路閣などへも続いています。一帯は平坦で、広々として落ち着いた佇まいが市民や観光客に好まれています。
この付近は平安時代、白河と呼ばれていました。かつては白河上皇の院や法勝寺(ほっしょうじ)が建ち、境内には九重の塔も建てられていたこともありました。今、その面影はなく、法勝寺町の町名を残すのみとなっています。
平安神宮の創建は明治28年(1895)。祭神には平安京遷都を実現した桓武天皇と京都で最後の天皇であった孝明天皇が祀られています。ちなみに孝明天皇が合祀されたのは、神宮創建から45年後の昭和15年(1940)で第二次大戦中のことでした。
幕末、京都は戦乱で荒れ果てていました。天明の大火ではおよそ3万世帯が焼けたといわれています。また、都が東京に遷っても、京都の人々はしばらく信じることができず、天皇は東京にお出かけになられただけだと東京遷都を頑なに拒んでいたそうです。とはいえ、公家や宮中御用達の老舗なども東京へ移り、京都はさびれる一方だったようです。
しかし、そんな沈滞ムードにいつまでも浸っているわけにはいかないと、まず京都府が動き、西陣物産会社を設立して繊維産業のさらなる興隆が図られました。教育にも力が注がれ、明治2年(1869)には上京・下京で64の小学校が開校、府立医学校や府画学校の設立も続きます。ちなみに明治8年(1875)には新島襄によって同志社英学校も創立されています。明治23年(1890)には、琵琶湖から疎水を開通させ、日本初の水力発電所が蹴上(けあげ)に設立されました。
そして明治25年(1892)、「平安遷都千百年紀念祭協賛会」が設立され、都の歴史と文化を継承し、新たに工業都市として発展する京都をアピールするため、第4回内国勧業博覧会を開催する計画が始まります。この「平安遷都千百年紀念祭」の柱となったのが、平安神宮の創建でした。平安神宮は京都復興のモニュメントでもあるのです。
なお「紀念祭協賛会」の発起人114人は、華族や政財界で力のあった人たちでした。またその総裁には有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)がなられました。親王は和宮親子内親王(かずのみやちかこないしんのう)の婚約者であった方ですが、公武合体で和宮が降嫁されたため、婚約は解消されました。
平安神宮の敷地は、当時、畑と藪だらけだった岡崎に決まり、さっそく買収されたといわれています。神宮建設には京都市の交付金や、皇室からの下賜金も充てられましたが、大部分は全国の民間募金に頼ったそうです。
明治28年(1895)10月22日、平安遷都千百年紀念式典が平安神宮の境内で行われ、このとき初めて時代祭が奉納されました。勧業博覧会は盛大に催され、これに合わせて日本最初の市電が運行し、多くの人々を岡崎に運びました。その後、勧業博覧会の跡地は、明治37年(1902)に岡崎公園となり、美術館や勧業館、図書館などに利用されました。また京都市動物園は、明治36年(1903)に日本で2番目に開園された動物園として知られています。
この通り、平安神宮は古代の神社ではありません。鮮やかな碧瓦で葺かれた朱塗りの応天門をくぐると、白砂を敷き詰めた広々とした境内に大極殿が建ち、両翼に白虎楼と蒼龍楼が伸びていて、手前には右近の桜と左近の橘が配置されています。これで平安京の朝堂院の8分の5のスケールといわれますから、平安時代の政庁の壮大さがうかがえます。
そしてその周囲を取り巻くように神苑が配置されています。七代目小川治兵衛(おがわじへえ)によって作庭された約1万坪といわれる広大な神苑は、東・中・西・南の4つからなる池泉回遊式庭園です。春に咲き乱れる南神苑の八重紅しだれ桜は特に有名です。また、森のような西神苑では6月になると200種を数える花菖蒲が咲き誇るほか、神苑の至るところで四季折々の花を楽しむことができます。
中神苑の蒼龍池には、睡蓮を縫うように飛び石が渡されていて「臥龍橋(がりゅうきょう)」と呼ばれています。この飛び石は、豊臣秀吉が三条大橋と五条大橋の橋脚を造るときに使ったものと伝えられています。また、東神苑には、京都御所から下賜された泰平閣(たいへいかく)が池に建てられています。橋殿とも呼ばれ、対岸からの景観や、橋殿から欄干越しに望む尚美館(貴賓館)の眺めがとてもきれいです。小川治兵衛は無鄰菴(むりんあん)の庭園を手掛けたことでも知られていますが、日本庭園というよりは、自然を融合させたのびのびとした自由な庭園です。
平安神宮の例祭は4月15日に行われ、勅使の参向を仰ぐ最も重要な神事となっています。これに対し、平安神宮の祭礼である時代祭は、平安講社とよばれる市民組織のもと、市民が担うお祭りで、毎年10月22日に行われます。5月の葵祭、7月の祇園祭とともに京都三大祭のひとつに数えられています。
時代祭の行列は現在20列で構成され、明治維新の「維新勤王隊列」にはじまり、時代を遡って延暦年間の「延暦武官行進列」までつづき、後方に「神幸列」が位置どります。それぞれの時代を再現して、全長約2キロ、およそ2千人が都大路を練り歩くパレードです。各時代の行列に使用される衣装や祭具は、そのひとつひとつが厳密な時代考証をもとに作製されたものです。また後方の「神幸列」は、2基の御鳳輦(ごほうれん)に桓武天皇と孝明天皇の御霊が遷され、市中を巡行されている間、市民の安らかなようすを親しくご覧になる行列といわれています。