滝口寺
(たきぐちでら)祇王寺に隣接する滝口寺は、もとは平安時代に念仏道場として栄えた往生院の子院のひとつ「三宝寺」でした。『平家物語』巻第十には滝口入道と横笛の悲恋の舞台として語られています。 その話を題材にして高山樗牛(たかやまちょぎゅう)は歴史小説『滝口入道』を発表しています。
本堂
山号・寺号 | 小倉山 滝口寺(浄土宗) |
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住所 | 京都市右京区嵯峨亀山町10-4 |
電話 | 075-871-3929 |
アクセス | JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」下車 徒歩約20分 京福嵐山線「嵐山」下車徒歩20分 市バス 11系統「嵯峨小学校前」下車 徒歩17分 28,91系統「嵯峨釈迦堂前」下車徒歩15分 |
拝観時間 | 9:00-17:00 |
拝観料 | 300円 |
滝口入道と横笛の悲恋を偲ぶ寺
『平家物語』巻第十「横笛」は、都を落ちのびた平家一門のひとり、平維盛(たいらのこれもり)が屋島から逃げ戻り、高野山の滝口入道を訪ねるところから始まります。そして、もと武士であった滝口入道が仏道に入ったいきさつを話すなかで、横笛との悲恋が語られます。
平清盛の嫡男である重盛に仕えていた滝口の武士、斎藤時頼(さいとうときより)は建礼門院の下女であった横笛と深く愛し合っていました。ところがこれを知った時頼の父は横笛など身分不相応だと厳しく責め、とうとう時頼は横笛を諦めて出家し、嵯峨の往生院に入ってしまいます。
横笛は時頼の出家を人づてに聞き、「何も言わずに出家してしまうなんて…」と嘆き悲しみ、所在も知らない往生院を尋ねてあちこちを探し歩きます。すると、ある僧坊から念仏の声が聞こえてきて、時頼の声にちがいないと思った横笛は、伴の女性を介して、ひと目逢ってくれるよう取り次いでもらいます。その様子を襖の隙間から見ていた滝口入道(時頼)は、哀れな横笛の姿に心揺れながらも、人を寄こして「そういう者はいない」と面会を断りました。横笛は恨めしく思いながらも涙を堪えて帰っていくのでした。
寺を去るとき横笛は自分の指を切り、その血で歌をしたためたと伝えられる歌石が、参道脇に置かれています。(ちょっと怖い…)
山深み 思い入りぬる 柴の戸の
まことの道に 我を導け
(あなたを思って山深くまで来たけれど。柴の戸の向こうで、あなたが励んでいるという
まことの道に、どうかわたしを導いてよ)。
「このあと、もしまた横笛が訪ねて来たらとても断る勇気がないな…」と思った滝口入道は往生院を出て高野山に上り、清浄心院(しょうじょうしんいん)に入りました。横笛もしかたなく奈良の法華寺で尼となり、それを聞いた滝口入道は横笛に歌を贈ります。
そるまでは 恨みしかとも梓弓
まことの道に 入るぞうれしき
(そなたが出家するまではずいぶん私を恨んだことだろうね。でも私はそなたが仏道に入ったことをうれしく思っているよ)
これに対して横笛も歌を返します。
そるとても なにか恨みむ梓弓
引きとどむべき 心ならねば
(尼になったといっても何もあなたを恨めしく思ってのことではありませんわ。引き止めたってあなたの心は戻らなかったでしょうから)
けれども横笛はほどなくして亡くなってしまいます。それを伝え聞いた滝口入道はさらに信心深く仏道に励み、親しい者はみな尊敬の意を込めて高野の聖と呼んだそうです。そののち滝口入道は高野山別格本山・大円院の第8世住職を務めています。一方、滝口入道を訪ねて高野山にやってきた平維盛は、『平家物語』によれば、このあと出家しますが、那智の沖で入水して果ててしまいます。
本堂には鎌倉後期の作と伝えられる滝口入道と横笛の木像が仲良く祀られています。なお明治になり高山樗牛(たかやまちょぎゅう)はこの物語を題材にして、歴史小説『滝口入道』を書きました。当時、樗牛は東京帝国大学の学生で、読売新聞の懸賞小説に『滝口入道』を匿名で応募して、入選を果たしました。その後、ドラマチックに描かれたこの作品の歴史小説としての意義をめぐって坪内逍遥が批判し、樋口一葉らは樗牛を擁護しました。