平野神社
(ひらのじんじゃ)平野神社は奈良時代に平城京に祀られていた桓武天皇の母である高野新笠ゆかりの神々が、平安京遷都とともにこの地に遷座されたのがその始まりです。桜の名所としても名高く、その歴史は花山天皇が植樹された寛和元年(985)に始まり、各時代の銘木が集められて約60の珍種、400本余りが春に咲き誇ります。
西鳥居
社名・社号 | 平野神社 |
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住所 | 京都市北区平野宮本町1 |
電話 | 075-461-4450 |
アクセス |
市バス
15,50,55,205系統「衣笠校前」下車徒歩3分 10系統「北野白梅町」下車、北へ徒歩7分 京福電車「北野白梅町」下車、北へ徒歩7分 |
拝観時間 | 境内自由 |
拝観料 | 無料 |
公式サイト | https://www.hiranojinja.com/ |
高野新笠ゆかりの神社
平野神社は桓武天皇による平安京遷都と同時期に創建されました。祀られる神々は天皇の母、高野新笠(たかのにいがさ)に縁が深い今木大神(いまきのおおかみ)を中心とする4神で、奈良の平城京より遷されたものといわれています。今でこそ境内はそれほど広くありませんが、平安時代には現在の御所ほどの敷地をもち、宮廷や貴族から篤く崇敬された格式高い神社でした。白河天皇の永保元年(1081)には正一位を叙位されています。
桓武天皇は天平9年(739)、奈良の平城京に生まれました。父は白壁王(のちの光仁天皇)、母は高野新笠です。それまで天武天皇系の皇統が続いていましたが、白壁王の即位により天智天皇系が復活、桓武天皇に継承されました。桓武天皇は天応元年(781)に43歳で即位、3年後の延暦3年(784)に長岡京に遷都しました。
しかし翌年、長岡京造営長官であった藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が大伴継人(おおとものつぐひと)・大伴竹良(おおとものちくら)らによって暗殺される事件が起き、皇太子であった早良親王(さわらしんのう)も事件に関与したとして、乙訓寺幽閉のあと淡路島に配流されてしまいます。親王はその途中で自ら抗議の断食をして絶命しました。その後、和気清麻呂や藤原小黒麻呂(ふじわらのおぐろまろ)らによって平安京遷都が推進され、長岡京遷都から10年後の延暦13年(794)に実現しました。
桓武天皇の母の高野新笠は、和乙継(やまとのおとつぐ)と土師真妹(はじのまいも)との間に生まれています。父系の和氏は百済の武寧王(ぶねいおう)の子孫を称していました。『続日本紀』延暦9年1月15日条によれば、その遠祖、都慕王は「河伯(黄河の神)の女、日精に感じて生める所なり。皇太后、即ち其の後なり」と記されています。扶余、高句麗、百済には共通する建国神話があり、都慕王は、扶余の始祖・東明や、高句麗の始祖・朱蒙と同一ともいわれていますがよく分かりません。なお、母系の土師氏は真妹の没後に大枝朝臣に改姓されています。
平野神社の祭神は今木皇大神(いまきのすめおおかみ)、久度大神(くどのおおかみ)、古開大神(ふるあきのおおかみ)、比売大神(ひめのおおかみ)の4神で、このうち主神となるのが今木大神です。今木は今来とも書かれ「外国から新来する」の意味をもつとされ、山部親王(桓武天皇)と高野新笠によって祀られてきた和氏の祖神だといわれています。光仁天皇の即位に際して平城京の田村後宮に奉斎され、延暦元年(782)には「田村後宮の今木大神に従四位上を叙す」(『続日本紀』)と、田村後宮の今木神が神階を賜っています。
一方、4座のうち残りの3座の神については由来がはっきりしていません。久度大神は、大和国平群郡の久度神社(現・奈良県北葛城郡王寺町)の神が遷座したといわれています。近くに和乙継の墓もあり、一族が渡来したのちの信仰を物語っているようにも思えますが、久度神は物部氏の祖神という説もあります。平野神社の久度大神は竃(かまど)の神として崇められ、衣食住共々を司ってきました。一方、大和の久度神に竈神としての神格が最初から備わっていたかは諸説あるようです。
また古開大神(ふるあきのおおかみ)も久度神と密接に関わる神のようで、『延喜式』祝詞に「久度・古開二所の宮にして供に奉り来たれる皇御神(すめみかみ)」とされています。この神も不詳ですが、同じく葛城の久度神社に祀られていました。平野神社の社伝では「古」は「振り」で、魂振り・祓の神威があるらしく、邪気を祓って生気を蘇らせる神とされています。なお比売大神だけは先の3神に遅れて合祀されたらしく、社伝によれば生産を司る神とされています。
平安時代の貞観5年(863)に久度大神・古開大神が正三位、比売大神が従四位上、貞観6年(864)年に今木大神が正一位に叙せられています。
ところで『二十二社註式』や『二十二社略記』では、第一神・今木神は日本武尊、源氏の氏神、第二神・久度神は仲哀天皇、平家氏神、第三神・古開神は仁徳天皇、高階氏神、第四神・比売神は天照大神、大江氏神と位置付けられています。意味不明ですが、源氏や平家は臣籍にくだった元王族であり、高階氏も天武天皇の皇子、高市皇子(たけちのみこ)を祖とします。また平野神社は中原氏、清原氏らも篤く崇敬していたといわれています。なお『二十二社註式』には、平野神社は仁徳天皇の廟とも記され、また、比売神は大江氏の氏神の木花開耶姫(このはなさくやひめ)とも書かれています。撰したのは吉田兼倶です。
本当になぞなぞのような記述ですが、第二神・久度神は仲哀天皇の氏神とされていることからすると、南あわじ市の久度神社が源郷なのかもしれません。
平野神社の本殿は「比翼春日造(ひよくかすがづくり)」「平野造」などと呼ばれ、春日造の社殿が2社ずつ連結された2棟が東向きに並ぶ独特の建築物です。北の第一殿、第二殿が寛永2年(1625)、南の第三殿、第四殿が寛永9年(1632)に建立されたといわれています。
拝殿のそばには御神木の大きなクスノキがそびえ、その前には磁気を帯びる「すえひろがね」と呼ばれる巨石が置かれています。「すえひろがね」には邪気を吸い取る神が宿っているといわれ、撫でてからクスノキの巨木を右回りに回って生命力・活力を授けていただきます。