京都の時空に舞った風
旧跡とその周辺の歴史を中心に。
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あだしの念仏寺

(あだしのねんぶつじ)

あだしの念仏寺は、空海が五智如来寺を開創したのちに、法然により念仏寺と改められたと伝えられています。化野は古くから風葬の地でした。境内には8千体ともいわれる石仏・石塔があります。

京都 化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)境内で約8千体の石仏・石塔を祀られる「西院の河原(さいのかわら)」。 西院の河原(さいのかわら)

INFORMATION
山号・寺号 華西山(かさいざん)東漸院(とうぜんいん)念仏寺(浄土宗)
住所 京都市右京区嵯峨鳥居本化野町17
電話 075-861-2221
アクセス JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」下車 徒歩約25分
京福電車嵐山線「嵐山」下車徒歩30分
京都バス 62,72,92系統「鳥居本」下車徒歩10分
拝観時間 9:00-16:30 (受付終了)
1・2・12月は15:30(受付終了)
拝観料 大人 500円 中高生 400円 小学生以下 無料
団体30名以上:大人400円 中高生 300円
公式サイト http://www.nenbutsuji.jp/index.html
※↑2024年6月確認済

8千体もの石仏・石塔を祀る鎮魂の寺

あだしの念仏寺の境内を埋め尽くす8千体の石仏・石塔群は、もとは化野の野山に散乱埋没していたものといわれています。明治中期になり、地元の人々の協力でそれらが集められ、あだしの念仏寺に祀られました。石仏・石塔の多くは室町時代に作られたものだそうです。

化野は古くから、東の鳥辺野(とりべの)、北の蓮台野(れんだいの)と並ぶ葬送の地でした。鳥辺野や蓮台野では早くから火葬が行われていたのに対し、化野は風葬に始まり、のちに土葬となりました。

一時期、嵯峨野に住んだ西行法師は、

誰とても 留るべきかは あだし野の
草の葉ごとに すがる白露

と詠みました。また、後白河天皇の第3皇女である式子内親王(しょくしないしんのう)の歌にも化野が詠まれています。

暮るる間も 待つべき世かは 化野の
末葉の露に 嵐たつなり

式子内親王は賀茂斎王になった人です。ほかにも「化野の露」を歌ったものは多くあります。露はいつしか葉から落ちます。葉から落ちた露はやがて土を潤し育みます。

寺伝によれば、空海が両部曼荼羅をかけ置き、石に釈迦と阿弥陀の二尊を彫り、末世の亡者の死骨をこの野に納め、悉く浄土に引導せんと加持祈祷したのが寺の始まりと伝えられています(『嵯峨化野念仏寺建立縁起』)。空海によって弘仁年間(810-824)に開かれた寺は五智山如来寺といい、真言宗大覚寺の所轄であったそうです。ちなみにあだしの念仏寺の北には風葬を望んだといわれる檀林皇后(橘嘉智子)の嵯峨陵があります。

時代が下ると五智如来寺は衰微します。法然が愛宕山の月輪寺に修行に通っていたとき、この地に念仏道場を建て、念仏寺と改め、浄土宗の寺になったと伝えられています。本堂には鎌倉時代の湛慶(たんけい)作と伝わる本尊の阿弥陀如来像が祀られています。その後、江戸時代の正徳2年(1712)に念仏寺は寂道(じゃくどう)により中興されました。この年は法然(円光大師)の500年遠忌にあたり、その法要に際して寂道が記した願文が昭和27年に偶然見つかったそうです。そしてそれにより初めて寂道の経歴などが知られることとなりました。

願文によれば、寂道の父は桓武天皇の末裔、平是利から26代目の平位幸晴、母は清和天皇の末裔、黒田如水の孫とあり、寛文13年(1673)12月25日に備前国岡山に生まれたとされています。また、正徳元年(1711)に、京都の阿弥陀寺から隠居して念仏寺の開山になったことも記されています。あだしの念仏寺では、弘法大師を開山法然(円光大師)を前中興寂道を後中興開山として法脈を伝えています。なおこの願文とは別に、黒田如水(官兵衛)は宇多源氏の正流を称したともいわれています。

本堂の向かって左手には、竹林を背にして茅葺の水子地蔵堂があり、毎月お地蔵様の縁日には本堂で水子地蔵尊の画像が祀られます。また、毎年8月23・24日の夕刻から、西院の河原に祀られる無縁仏にろうそくを灯して供養する「千灯供養」は奥嵯峨の夏の風物詩となっています。

京都 化野念仏寺の参道の石段
参道の石段
京都 化野念仏寺の本堂
本堂
京都 化野念仏寺の鐘楼
鐘楼
京都 化野念仏寺の水子地蔵
水子地蔵
京都 化野念仏寺の境内のいたる所に石仏がある
境内のいたる所に石仏が。
京都 化野念仏寺の石の阿弥陀三尊
石の阿弥陀三尊
京都 化野念仏寺境内の竹林を上って六面六体体地蔵と墓地へ。
竹林を上って六面六体体地蔵と墓地へ。
関連メモ&周辺

仏舎利塔
(ぶっしゃりとう)

京都 化野念仏寺の仏舎利塔
この仏舎利塔は納骨堂。ちなみに仏塔をインドの言葉で「スツーパ」といい、中国に入って「数斗波」となり、日本に来て「卒塔婆」と表記されるようになったという。古代インドの塔建築基礎様式とされるドーム型の上部に傘型の水煙をもつ仏舎利塔は、インドのサンチー大塔を模して造られたという。

六面六体体地蔵

京都 化野念仏寺の六面六体体地蔵
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人道、天道の六つの世界を六道といい、この六面六体地蔵は六道それぞれの世界でお地蔵様が人々を救済してくれる姿を現したものだという。天道から人道へと時計の針の回る順に六面のお地蔵様に水をかけてお参りする。「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」と唱えるといいらしい。

主な参考資料(著者敬称略):

『愚沙 化野念仏寺寺誌』化野念仏寺 /

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