京都の時空に舞った風
旧跡とその周辺の歴史を中心に。
新型コロナ禍以降、多くの施設や交通機関でスケジュール等に流動的な変更が出ています。お出かけの際は必ず最新情報をご確認ください。
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宇治上神社

(うじがみじんじゃ)

宇治川を挟んで平等院の対岸に建つ宇治上神社。その本殿は現存する日本最古の神社建築といわれています。宇治神社と対をなし、応神天皇の皇子であった菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が祀られています。世界遺産「古都京都の文化財」のひとつに指定されています。

世界遺産のひとつ、京都 宇治上神社の鳥居 鳥居

INFORMATION
社名・社号 宇治上神社
住所 京都府宇治市宇治山田59
電話 0774-21-4634
アクセス JR(リンク:JRおでかけネット)奈良線「宇治」下車徒歩20分
京阪電車 宇治線「宇治」下車徒歩10分
拝観時間 9:00-16:30
※↑2019/4確認時の情報です。

菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)を祀る宇治上神社・宇治神社

宇治川の東岸、宇治橋から少し上流に宇治上神社と宇治神社が鎮座しています。明治以前は二社で一体とされ、宇治離宮明神と呼ばれていたそうです。山寄りにある宇治上神社が上社で、宇治神社が下社でした。創祀は不明とされていますが、この地は応神天皇の離宮があったと伝えられ、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が宮を受け継いだともいわれています。また社殿の建立は平等院とほぼ同時期とみられ、藤原頼道が平等院の鎮守社として造営したものとも考えられています。

記・紀によれば、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ・宇遅能和紀郎子)は、応神天皇と和珥臣の祖である日觸使主(ひふれのおみ・比布礼能意富美)の娘、宮主宅媛(みやぬしやかひめ・宮主矢河枝比売)との間に生まれた皇子と伝えられています。菟道稚郎子の異母兄弟に、大鷦鷯皇子(おおさざきのみこ)と大山守皇子(おおやまもりのみこ)らがいて、父の応神天皇は、末子の菟道稚郎子を寵愛し、皇太子にしたいと望んでいたようです。

応神天皇の皇位継承に関わった一族の系譜
応神天皇の皇位継承に関わった一族の系譜(タップで拡大)

応神天皇は大鷦鷯(おおさざき)と大山守(おおやまもり)に対して、皇太子には誰が適任かを問うと、大山守皇子は兄の大鷦鷯がよいと答え、大鷦鷯は天皇の心のうちを思って末子の菟道稚郎子がよいと答えました。それであっさり菟道稚郎子が皇太子に決まったとされています。応神天皇の死後、それを快く思っていなかった大山守皇子は菟道稚郎子に戦を仕掛け、逆に宇治川で滅ぼされてしまいます。大山守の企みを内通して菟道稚郎子に兵を準備させたのが大鷦鷯でした。『日本書紀』では、その後、菟道稚郎子と大鷦鷯は皇位を譲りあっているうちに3年が経ち、菟道稚郎子はとうとう兄を思って自死してしまう、という美談に仕立て上げられています。

また、菟道稚郎子が亡くなって3日後に生き返り、自分の妹である矢田皇女(やたのひめみこ)を、大鷦鷯に奉ると遺言してふたたび絶命したとされています。そして彼の死後、即位したのが大鷦鷯皇子、すなわち仁徳天皇でした。菟道稚郎子の宮は、桐原日桁宮(きりはらひげたのみや)と呼ばれ、皇子の没後、仁徳天皇によって菟道稚郎子が祀られたのが宇治上神社の草創ともいわれています。

一方、「播磨国風土記」大家の里(おおやけのさと)の段では、「宇治天皇の御世」と記され、菟道稚郎子は天皇になって国を治めていたかのような記述になっています。このことから大鷦鷯の菟道稚郎子殺害説も出ています。

宇治神社の右手奥を行くと宇治上神社の鳥居があり、参道が続きます。小さな橋を渡って神門を入ると正面に立て砂があり、奥に拝殿が建っています。屋根は切妻造の左右に庇がつく縋破風(すがるはふ)になっていて、拝殿としては珍しい寝殿造の華麗な建物です。

そしてその奥に本殿が建ち、背後は朝日山の山すそが建物ぎりぎりにまで迫っています。本殿は、覆屋(おおいや)とその内部に三棟ある内殿からなり、覆屋は檜皮葺き、桁行5間、梁間3間のかなりどっしりとした建物です。

一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の覆屋の中を伺うと、小さな社殿が三棟並んでいて、左殿と右殿は覆屋と一体になっているのがわかります。中殿と合わせてこの三殿は平安時代後期にあたる1060年ごろに造られたとみられ、現存するわが国最古の神社建築物といわれています。祭神は左殿(向かって右)に菟道稚郎子、中殿に応神天皇、右殿(向かって左)に仁徳天皇が祀られていますが、仁徳天皇ではなく、菟道稚郎子の母の矢河枝比売(やかわえひめ)ともいわれています。

拝殿の右手に水屋があり、宇治七名水のひとつと言われた「桐原水」が湧いています。七名水のうち残っているのはここだけだそうです。本殿の右手に建つ摂社の春日大社も創建は古く、鎌倉時代にさかのぼります。

京都 宇治上神社の神門
神門
応神天皇の皇位継承に関わった一族の系譜
応神天皇の皇位継承に関わった一族
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京都 宇治上神社の拝殿
拝殿(国宝)
鎌倉時代前期の建造物とみられている。
京都 宇治上神社の本殿
本殿(国宝)
平安時代後期の建造物とみられている。
京都 宇治上神社境内の春日社
春日社
武甕槌命(たけみかづちのみこと)と天児屋根命(あめのこやねのみこと)が祀られる。
京都 宇治上神社境内の香椎社(向かって右)と住吉社
香椎社(向かって右)と住吉社
香椎社の祭神は神功皇后と武内宿禰。住吉社の祭神は表筒男命と底筒男命。
京都 宇治上神社境内の武本稲荷社
武本稲荷社
倉稲魂命(うかのみたま)が祀られる。
宇治七名水のひとつ、宇治上神社境内の桐原水。
桐原水(きりはらみず)
関連メモ&周辺

宇治神社

京都 宇治神社の鳥居 鳥居 京都 宇治神社 桐原殿 桐原殿 京都 宇治神社 茅の輪と本殿拝所 茅の輪と本殿拝所 京都 宇治神社の本殿 本殿 京都 宇治神社のうさぎの手水鉢 うさぎの手水鉢
宇治上神社と対をなす。菟道稚郎子の住まいであった桐原日桁宮(きりはらひげたのみや)は菟道宮と呼ばれ、稚郎子の没後に宇治神社となったといわれている。こちらの本殿には平安後期の作と伝えられる菟道稚郎子の等身大の坐像が祭神として祀られているという(非公開)。
菟道稚郎子は学業に長けていたため、学問の神様として信仰される。また、百済から渡来した王仁博士(和邇吉師・わにきし)に付いて、仁・義・礼・智・信を重んじる儒教を深めたことから、太子であるにも関わらず、兄の仁徳を立てるため、葛藤の末、皇位を捨て自殺したとの見方がある。
本殿外陣に据えられていた一対の木造の狛犬が、鎌倉時代の貴重な文化財として宇治市歴史資料館に収蔵されている。阿形に開口する狛犬と、角の生えた吽形(うんぎょう)の狛犬。

源氏物語
ミュージアム

京都 宇治にある源氏物語ミュージアム
さわらびの道に沿って、宇治上神社のすぐ近くに源氏物語ミュージアムがある。2018年9月にリニューアルオープン。源氏物語の最後は「宇治十帖」として、宇治を舞台に描かれている。源氏物語ミュージアムでは「宇治十帖」の物語をタッチパネルなどを使ってわかりやすく紹介するほか、物語に沿って平安文化などを展示する。物語に登場する「垣間見」を体験できる装置や、ポーズとると画面が動くパネルなどもある。時間:900-17:00。観覧料:大人500円 小人250円。

菟道稚郎子の墓

京都 宇治にある菟道稚郎子の墓
京阪宇治駅のすぐ北に宮内庁の管理する菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の墓があり、宇治墓ともいわれる。奥の古墳は宮内庁が明治以後に前方後円墳に整えたものとも。

主な参考資料(著者敬称略):

『京都・世界遺産手帳 平等院・宇治上神社』河原書店 /『京都の歴史を足元からさぐる 宇治・筒木・相楽の巻』森浩一 学生社 /

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